マクタンの勝利を祝う祭典 各地で開催

フィリピン文化

本日はフィリピン人がマゼラン一行を撃退したことで知られる「ラプラプの日」ということで、各地でセレモニーが開かれた模様です。ラプラプの肖像画が飾られるほか、当時の戦いを再現したパフォーマンスが行われました。


戦隊モノを見ている気分になりますが、意外と本格的ですね。

ラプラプとマゼランはなぜ戦ったのか?

ラプラプはフィリピンでは英雄として祀られています。一方で、マゼラン一行こそがカトリックをフィリピンの地に伝え、守護聖人サント・ニーニョは現代までセブのシンボルとなっています。この2勢力が敵対していた割には、両サイドともに顕彰されているという不思議な関係にあります。

もともとラプラプvsフマボン王の構図があった

ラプラプはマクタン島の王で、フマボン王はセブ島の数々の王の中でも一目置かれる王の一人でした。マゼランがセブ島を訪れてカトリックへの改宗を求めた際、フマボン王一派は肯定的にこれを迎えました。それに気をよくしたマゼランはセブ島の他の王にも改宗を求めます。


数々の王がカトリックに賛同する中、ラプラプは改宗に反対の立場をとっていました。

フマボン王はマゼラン一行に「武力行使によりラプラプを支配し改宗するように」頼みます。
マゼラン一行はフマボン王、ビサヤ人との信頼関係を強固なものにするため、これを承諾。うまく利用されているような気もしますが、そのような経緯でラプラプとマゼランは戦うことになりました。
あるいは、マゼランが唯一反対するラプラプに怒り、武力行使で押さえつけようとしたともいわれていますが、いずれにしても、マゼランはフィリピン到着早々にその政治情勢に首を突っ込んでしまいました。

4月27日、マゼラン一行はラプラプのもとに奇襲を仕掛けますが、それはラプラプに読まれており、49人対1500人という圧倒的な数の差のもとで戦わざるをえない状況になっていたようです。

マゼランは戦死し、ラプラプが勝利しました。撤退したスペイン人たちはフマボン王の裏切りにより毒殺されます。フマボン王とラプラプが裏で通していてマゼラン一行は良いように使われたのかもしれませんし、マゼランには奴隷兼通訳のマレー人がいましたが、マゼランの死により解放されるはずがその契約を無碍にされたので、腹を立ててフマボン王と手を組み、これを仕組んだのかもしれません。命辛々フィリピンを脱出して逃げおおせた一部の船員たちはその後世界一周を達成します。

ラプラプは外国人勢力を打ち負かした英雄です。日本で言うところの元寇のような、あるいは明治維新の時の幕府軍のような、保守的な立場で国を守った人物として知られています。

それでも、フィリピン人が今もマゼランが伝えたカトリック信仰を捨てず、セブ市では『マゼランクロス』が市のマークになり現代まで残っているのは、日本人的にはとても不思議な光景です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました