先日、課外授業で、バジャウ族の集落を訪れる機会がありました。
今回はその際に感じたことについて、まとめたいと思います。
少し長くなりますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
バジャウ族って?
バジャウ族は「海の遊牧民(Sea Nomads)」と呼ばれ、
代々、海とともに暮らしてきた民族です。
漁をし、船を作り、貝殻などで作ったアクセサリーを販売しながら生活しています。

その暮らしは大きな転換点を迎えている
私たちが訪れた集落では、約8年前に大規模な火災が発生し、多くの家が焼失したそうです。
そして現在は、コンクリートの家に住み、彼らの文化とは異なる生活を強いられています。
となりにはまだバジャウ族らしい暮らしをしている集落もありますが、
橋の建設計画に伴い、政府から移転を求められているといいます。
長年暮らしてきた土地を離れなければならないかもしれない──。
住民の方々は、そんな不安を抱えながら日々を過ごしています。
集落には3,000人以上が暮らしており、政府が定期的に各家庭を訪問するため
住民数などを把握しているそうです。
しかし、どんどん子どもが増えるため、住む場所が足りず、
小さな家をシェアしたり、仮設住宅を作ったりして暮らしています。
住む場所だけでなく、食料の確保も大きな課題
食べるものが足りないので、本当は違法であるマンタやウミガメ、イルカを捕って
食べるしかないと教えてくれました。
そのため、私たちは炊き出しを体験させていただきました。

普段、彼らは野菜を食べないため、野菜は細かく切り刻む必要があります。
鶏肉とお米の入った大きな鍋に野菜を入れ、お粥を作りました。
完成する頃には子どもたちが集まり、列を作って待っていました。

ひとりひとりから受け取ったお皿によそいます。

フィリピンの言葉や英語を話さないバジャウ族ですが、Thank youと言ってくれました。
どの子もとても喜んで食べてくれたため、作ったこちらが嬉しい気持ちになりました。
50人以上の子どもたちに提供することができ、お鍋は空になりました。
水不足も深刻
海の近くであれば水には困らないような印象があります。
ただし、各家庭で美しい水にアクセスできるわけではなく、
集落にあるウォーターステーションで、水を分け合って使っています。

飲み水も同じようにシェアしており、手に入れられる量には限りがあるそうです。
シャワーもみんな同じ場所で浴びます。私たちが訪れた時にも、体を洗っている人がいました。
今なお受け継がれるバジャウ族ならではの文化も
医療面
訪問先でお話を伺ったところ、現代の医療は信じていないことがわかりました。
病気や怪我をしたら、まずは村の高齢女性のもとへ行き、伝統的な薬や薬草で治すのだそうです。
助産師さんの役割もその高齢女性が担うそうです。
赤ちゃんのへその緒は竹で切り、家の前に干して、健やかな成長を願う風習があるといいます。
子どもは家族の宝とされ、多くの子どもに恵まれることは大きな幸せと考えられています。
私たちが訪れた日にも、新しい命が誕生したと聞きました。
でも人口が増えるほど、あらゆる問題はより深刻になります。
結婚式では全員を招待し、みんなで3日間祝うほど、強い絆があるコミュニティですが、
近い将来、離ればなれになってしまうかもしれません。
なんでも共有し、助け合うことは、現代社会にない良さであるように思いますが、
今の子どもが大人になる頃、それさえも失われるかもしれないのです。
教育面
学校は幼稚園と小学校については無償で通える制度がありますが、
教育との関わり方についても、私たちとは異なる価値観があることを知りました。
バジャウ族の人々はあまり子どもの教育に関心がないのです。
なぜなら自分たちは教育を受けてこなかったためです。
今後、一般的なフィリピン人の生活をすることになれば、上手く馴染めない可能性があります。
それでもバジャウ族の人々が劣っているとは思いません。
バジャウ族の生活が遅れているとも思いません。
彼らは驚くほどの深さまで素潜りし、手作りの道具で魚を獲ることができます。
自分たちで作った船も見事なものです。
3歳くらいから親と一緒に船に乗って沖へ出て、泳ぎを習うと聞きました。
私たちにはないスキルや知識を、彼らは持っています。
バジャウ族にとっての海
バジャウ族の人々は、洗濯やトイレも海でします。
インド人にとってのガンジス川のように、彼らにとって海は生活のすべてなのです。
しかし、その海は今、ゴミで溢れています。

バジャウ族にはゴミを海に捨てる習慣がありますが、彼らが汚しているのではありません。
彼らはゴミをほとんど出さず、最大限に利用します。
たとえば発泡スチロールを小さな浮き輪のようにして海で遊ぶ子どもたちに出会いました。
何度も何度も繰り返し使っているのです。
つまり、バジャウ族の村の近くに漂っているゴミは、陸上で暮らす私たちが出したものです。
彼らはずっと変わらない生活をしようと努めてきました。
変わったのは社会で、陸の世界。それなのに影響を受けるのは彼らです。
汚染に加えて大規模な開発も進み、バジャウ族のかつての生業は失われつつあります。
彼らの住処で、考えた子どもたちの未来
次にフィリピンを訪れる時、バジャウ族は過去のものになっているかもしれません。
だから、最後に質問があるかと聞かれたとき、
「子どもたちに将来の夢は何か聞いてほしい」と頼みました。
すると、返ってきたのは「夢などない」という声でした。
「きっと漁師になると思う」という返事もありましたが、基本的には夢について考えないそうです。
彼らが抱いているのは、「将来を心配せず、今日と明日のことを考える」という考え方でした。
バジャウ族のアイデンティティを、強く感じた瞬間でした。
これこそ、今を大切に生きるバジャウ族なのです。
でも、それが近々消えてしまう可能性があります。
日本人がバジャウ族を訪ねることの意味
セブ島には、美しい海やリゾートだけではなく、このような歴史や文化、
そして社会課題も存在します。
私はこういった社会課題にこそ目を向けたいと思い、本気イングリッシュを選びました。
日本から離れた国の、あるひとつの民族のこと。それでも、無関係ではないと思います。
海を汚しているのは、私たち一人ひとりの暮らしかもしれません。
便利な街や橋の建設による恩恵を受ける一方で、
その陰で住み慣れた土地を離れなければならない人たちがいます。
貧しいから、海での暮らしは危険だから、乱獲はダメだから、そんな単純な話ではありません。
私たちは発展に目を向けがちですが、その陰で誰かの暮らしが変えられてしまうこと、
蔑ろにされることにも焦点を当てる必要があります。
日本人が大切にする、学歴やキャリア、収入や資産(車や家など)。
バジャウ族が守ってきたコミュニティの強い絆、自然とともに生きる姿勢、
今を大切にして、日々を楽しむ気持ち。

彼らが持っていないものを私たちは持っていますが、彼らが持つものを私たちは持っていません。
どちらが優れているか比べることはできません。
ただ、日本に不登校や自殺が多いことは事実。
バジャウ族の子どもたちに会ったとき、なぜか思い浮かんだのは、
満員電車でやつれた顔をした日本の人々。SNSで誹謗中傷をする人やそれに苦しむ人。
この気持ちをどう言い表したらいいのかわかりません。
でも、この気持ちこそ、現地を訪れなければ、抱けないものだと思います。
今日という日が終わる時に、いい日だったと感じていますか。
愛する仲間と過した幸せな時間を、胸に刻み込んでいますか。
ここまで読んでくださった方は、どうか少し考えてみてください。
バジャウ族を娘と訪れた日、私は心の底から思うことができました。
「今日も生きられてよかった。いい日だった。」と。
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